ポップスの楽譜の扱い方とは
ポップスの制作過程では編曲家の存在が重要になり、そのアレンジ次第で楽曲全体の雰囲気もその楽譜も大きく変わります。この点がクラシック音楽と異なる点です。クラシック音楽の場合は音そのものが変えられることはほとんどないので楽譜選びでは困ることはありませんが、ポップスの場合には注意を要します。
しかし、編曲家は全てを自由にアレンジするわけではありません。作曲家が生み出し、その音楽のオリジナリティを担う部分、つまりその楽曲の幹となる部分には自由なアレンジを施すことは基本的にありません。さて、その幹となる部分とはどの部分でしょうか。それはメロディとコードです。多くの人は音楽を聴くときにまずメロディに気が向かうもので、そのメロディを支えるのはコードです。そのためメロディやコードを大きく変えてしまうとその音楽を聴いている人は違和感を感じてしまいます。なので、まずはメロディとコード進行のみに注目して楽譜を扱い、分析(アナリーゼ)をすることができます。
そしてポップスの楽譜選びの際にはできる限り信用のある楽譜を探すことが大切です。実は楽譜によっては間違ったコードが書かれていたり、メロディの音が違うことがあるのです。可能な限り信用のある楽譜を準備しましょう。販売されている楽譜であれば信頼しても良いと考えて問題ありませんが、今の時代は有料で楽譜をダウンロードすることができます。特に楽譜のダウンロードサイト「@ELISE」では最新曲の楽譜も探すことができますし、その楽譜の提供元の会社が明示されていて信用できますのでおすすめします。
それでは今回はポップスの楽譜の扱い方について踏まえた上で、実際に楽曲をアナリーゼしてみましょう。
楽曲を聴くことからわかること
ポップスに限らず、様々なジャンルの音楽をアナリーゼする際にまずやるべきことは、その音楽を聴くということです。当たり前のことですが、ある程度アナリーゼに慣れてくると意外にかろんじてしまうことでもあります。以前にも述べたように、アナリーゼでは自由な気持ちで音楽に接することが大切です。まずは気軽に音楽を聴いてみましょう。それだけでも気がつくことは多くあります。
今回はスピッツの『空も飛べるはず』を題材にします。世代を問わず人気のあるこの曲は誰もが聴いて歌ったことのあるような、スピッツの代名詞と言えるでしょう。しかし、この曲が世の中に出たのは1994年。今から30年近く前にリリースされたのにもかかわらず、多くの人々の心の中に残り続けるこの曲の魅力とは何でしょうか?
まず個人的なことを話しますと、筆者は学生時代、この曲に合唱で参加したことがあります。同じように皆さんも中学高校の合唱で歌ったことがあるのではないでしょうか? YouTubeで曲名を検索してみると合唱の映像が多くヒットすることから、『空も飛べるはず』は合唱で歌われることも多いということがよくわかります。まさにこの曲はみんなで歌いたくなるような楽曲です。それはこの曲の魅力の一つだとも考えられます。
楽曲の構造を見極めよう
さて、次はこの楽曲の構造について考えてみましょう。「構造」というと複雑なことのように感じてしまいますが、そこまで難しくはありません。基本的にポップスには歌詞がついていますね。歌詞は1番の歌詞や2番の歌詞など複数の歌詞に分けられ、それぞれには多くの場合同じメロディが付けられます。たとえば、童謡『雪』の歌詞は次のように1番と1番の歌詞があります。
図1
ここでいう1番と2番の歌詞を分けることがアナリーゼの第一歩です。ちなみに音楽の専門的な用語では、1番、2番などそれぞれの歌詞のことを「節」と言います。たとえば、『雪』の1番の歌詞はこれで1つの節となります。
図2
つまり、『雪』は2つの節から成り立っていることになります。このように複数の節から成り立ち、それぞれの節がおおよそ同じメロディであるものを「有節歌曲形式」といいます。多くのポップスや歌謡曲は複数の節を持っていて、それぞれの節は同じメロディであることが多いので有節歌曲形式であると言えるのかもしれません。しかしこの「節」という言い方はあまり一般的ではないので、ここでは1番や2番と言って問題ありません。
さて、再び『空も飛べるはず』に注目しましょう。この曲は3番までの歌詞で成り立っています。また、2番と3番の間には短い間奏が入っていますね。
さらに細かくこの曲の構造を調べてみましょう。この曲は冒頭のイントロと間奏を除いて、3つのメロディから成り立っています。それぞれのメロディは次の歌詞から始まります。
①“幼い微熱を”〜
②“色褪せながら”〜
③“君と出会った”〜
『空も飛べるはず』(作詞:草野正宗)より
①のフレーズは1番では繰り返されます。“隠したナイフ”からのフレーズが“幼い微熱を”のフレーズの繰り返しです。そして③のフレーズはいわゆる「サビ」です。
そしてそれぞれのフレーズにA、B、Cとアルファベットを付けてみましょう。すると、この楽曲では全体的に次のような構造を取っていることになります。
表
このように構造を抽象的な記号に置き換えると楽曲を考察しやすくなります。
ここまでの簡単な考察
『空も飛べるはず』はみんなで歌いたくなるような楽曲です。特にCフレーズ(サビ)は自然と盛り上がる箇所ですね。では、どうして自然に盛り上がることができるのでしょうか?
例え話になりますが、クリスマスパーティーで盛り上がることができるのは、そのパーティー自体が楽しいだけではなく、そのパーティに向けて前の日から準備をしたり計画をしたりして楽しみにすることで、期待感やワクワク感が高まるためですね。音楽も同じように、あるメロディが盛り上がるように演出するためには、そのメロディに向かう前の別のメロディで盛り上げる工夫をする必要があります。
『空も飛べるはず』の場合は、BフレーズがCフレーズを盛り上げる工夫をしているのです。Cフレーズが盛り上がるためにBフレーズはどのように作られているのでしょうか?
楽譜を見ることでわかることとは
さて、ここまで私たちは楽譜を用いていません。楽譜を用いなくてもある程度のアナリーゼは可能なのです。しかし、楽譜を見ずに耳だけの情報でその音楽をさらにアナリーゼすることはなかなか難しいことです。メロディやハーモニーが実際にどのように作られているのか詳細に調べるためにはやはり楽譜があった方が良いでしょう。
ここで『空も飛べるはず』の楽譜を準備して先ほど話題になったBフレーズを見てみましょう。Cフレーズのサビが盛り上がるのは、Bフレーズがどのように作られているからでしょうか? まずはコード進行を見てみましょう。
譜例1(C-durの楽譜を用いています)
このコード進行からBフレーズには主和音がないことがわかります。(この楽譜はC-durになっていますので、主和音は[c-e-g]の和音です。)
譜例2(C-durの主和音)
和声法を学んだ方はわかるかと思いますが、主和音には楽曲を安定させる機能があります。その主和音が出てこないということは、このコード進行に落ち着くポイントがないということを意味します。落ち着くポイントがないために、主和音に解決するまでの期待感、ワクワク感がだんだんと高まっていくのです。期待感はじょじょに高まり、Cフレーズの冒頭に主和音が現れることで解決されます。
Bフレーズの中で注目するポイントはまだあります。それは次の譜例で☆マークがついている箇所です。
譜例3
この部分はDm7→Em7→F7とコードが音階に沿ってだんだんと上がっています。基本的に音楽は音階が上がれば上がるほど緊張感が高まっていくものです。その緊張感とは、先ほどから述べているような主和音に解決するための高揚感、期待感であります。
つまり、Bフレーズでは①主和音を用いず、②後半のコード進行で音階に沿ってだんだんと上昇しているために、主和音に解決する期待感も高まり、それは結果的にCフレーズを盛り上げるための演出になっているのです。
そして、このBフレーズはマイナーコードを中心に作られています。実はこの点も注目ポイントの1つです。一度その前のAフレーズのコード進行を見てみましょう。
譜例4
Bフレーズに進む直前(Aフレーズの最後)のコードがDになっていることに注目しましょう(譜例4の!マークの部分です)。実はここは必ずしもDである必要はないのです。そもそもC-durにはDコードに含まれるfisの音は含まれていません。
譜例5
ですので、この部分は次のようにDmコードになるのが普通です。
譜例6
しかし譜例6のようにはなっていません。DとDmはそれぞれメジャーコードとマイナーコードです。メジャーコードからは明るい、マイナーコードからは暗い印象を受けますね。Aフレーズの後半のコード進行をよく見てみると明るいコードが続いていることがわかります。
譜例7
このようにすることで、Bフレーズのマイナーコードがよりはっきりと印象的になります。食事でも辛いものを食べた後に甘いものを食べるととても甘く感じますよね。音楽も同じように、明るいコード進行が中心のフレーズから暗いコード進行が中心のフレーズに変わることで、そのコントラストははっきりします。その結果Bフレーズがより暗いフレーズに感じ、Cフレーズの盛り上がりがより効果的に演出できるわけです。
まとめ
先ほど『空も飛べるはず』を聴いたときの印象として、みんなで歌いたくなるような楽曲であると述べました。みんなで歌いたくような楽曲というのは、楽曲の高揚感を自然に感じさせるものです。その高揚感とはどこから感じられるのかと言いますと、『空も飛べるはず』の場合はサビの主和音に向かうためにその前のフレーズから様々な工夫により準備されていることがわかりました。その工夫とはあえて主和音を用いないようにすることや、主和音のメジャーコードがより効果的に聴こえるためにマイナーコードを多用することでしたね。
さて、今回はポップスにおいてどのように楽譜を取り扱うべきか簡単に説明した上でアナリーゼに取り組みました。そのアナリーゼの流れとしては次のようになります。
①まずは楽曲を聴いてみる
②楽曲を聴いた上で感じた印象をまとめる
③楽曲の全体的な構造をまとめて、②で感じた印象が楽曲のどの部分から得られるのか調べて考察してみる
④さらに楽譜を見ることで、③の考察の根拠を調べてみる
⑤最終的な考察をする
また、今回は主和音に向けてどのようにコード進行が作られているのか着目しました。このように、楽曲の中の主和音が用いられるタイミングを調べることはとても重要です。さらにここまでの過程の中で、前回までに紹介したようなアナリーゼの手法を用いることができるとより深い分析ができます。
楽器と同じようにアナリーゼにも慣れが必要です。「習うより慣れろ」という言葉がありますように、次回もアナリーゼの実践例を紹介しますので、だんだんと慣れていきましょう。