インターネットから生まれるヒット曲
現代のポップカルチャーにおいて重要な発信媒体はインターネットです。インターネットの普及により音楽産業の形は変わり、音楽がヒットするきっかけも変わりました。
インターネットの中でも特に重要な存在の一つとしてYouTubeが挙げられます。たとえば、2020年にデビューし、瞬く間にヒットした藤井風の活動の場もYouTubeが最初でしたし、同じく2020年の後半から徐々に注目されるようになったAdoの人気曲『うっせぇわ』もYouTubeから発信された曲でした。藤井風やAdoのような、いわゆる「Z世代」と呼ばれるアーティストの活躍は目覚ましく、それは発信媒体としてのインターネットの可能性を感じさせます。
Z世代に先立つアーティストにも同じようにインターネットで活動していた人がいます。その中でも代表的なアーティストとして挙げられるのは米津玄師です。ニコニコ動画などで「ハチ」という名前で活動していた米津玄師は2018年に『Lemon』によって大ヒットしました。
デジタルネイティブでありながらも「エモい」という言葉が流行るように、Z世代にとって「懐かしさ」、「ノスタルジック」は魅力的なもののようです。2020年前後のJ-ポップをアナリーゼする際にはこの「エモい」という言葉が重要なキーワードになるのかもしれません。
米津玄師の多くの楽曲にもどこか懐かしさのようなものを感じ取ることがあります。それはあいみょんの楽曲に見られたような懐かしさではなく、日本の原風景が透けて見えるような、そういった種類の懐かしさです。
今回は米津玄師の楽曲『パプリカ』を通して、音楽における懐かしさの秘密を探ります。そのためにまずは構造を分析してみましょう。この楽曲においては構造に関して注目すべき箇所は特にないのですが、後々アナリーゼしやすくするために構造をまとめることはどの楽曲においても大切なことです。
表『パプリカ』の構造
ヨナ抜き音階によって受け継がれたノスタルジーの積み重なり
多くの解説サイトでは『パプリカ』には「ヨナ抜き音階」が用いられていると述べられています。ヨナ抜き音階とは、4番目と7番目の音が抜かされた音階のことで、たとえばハ長調とイ短調のヨナ抜き音階はそれぞれ譜例1のようになります。それぞれ4番目と7番目の音がなくなっています。このように5つの音から成る音階を五音音階と呼びます。五音音階は日本やアジアなどの東洋の音楽によくみられます。
譜例1
ヨナ抜き音階は楽曲をノスタルジックな雰囲気にするため、多くのアーティストは日本的な雰囲気の楽曲を作る際にこの音階を用いる傾向があります。
しかし、そもそもヨナ抜き音階は必ずしも日本だけで用いられていた音階ではなく、スコットランドの民謡にも同じ形の音階が見られます。それにも関わらずなぜ多くのアーティストたちは日本風の楽曲を制作する際にヨナ抜き音階を用いるのでしょうか。そして、なぜ私たちはそこからノスタルジーを感じるのでしょうか。
まず考えられることは明治以降の多くの童謡でヨナ抜き音階が用いられていることです。たとえば『赤とんぼ』や『あめふり』、そして文部省唱歌の多くはヨナ抜き音階の特徴を持っています。
譜例2
これらの楽曲は私たちが幼い頃によく耳にした音楽です。生まれた時代も生まれた土地も異なるのにも関わらず、現代に生きている多くの日本人が『赤とんぼ』や『あめふり』を聴いたことがあるということはよく考えてみると驚くべきことです。
幼い頃に聴いた音楽はその頃の印象と重ねて思い出されることが多いために、多くの日本人にとって懐かしいものになります。そのような懐かしい音楽がヨナ抜き音階で作られていることが多いことから、私たちはヨナ抜き音階が用いられている楽曲に懐かしさを感じるのでしょう。
だからこそ日本のアーティストたちが自身の故郷である日本を感じさせる音楽を作ろうと考えたときにヨナ抜き音階を用いるということは不思議なことではありません。
ヨナ抜き音階によるこの懐かしさは、童謡を通して現代まで受け継がれているDNAのようなものであり、またそこから感じ取られるノスタルジックなイメージは多くの人の幼い頃の音風景を誘うものだと言っても過言ではないでしょう。
その上で、『パプリカ』でヨナ抜き音階が用いられていると考えることはとても説得力のあることです。
さて、ここでは練習として『パプリカ』のメロディでどのように4番目と7番目の音が避けられているのか皆さんそれぞれで調べてみましょう。そのためのヒントとして次のことを述べておきます。この楽曲のAフレーズとBフレーズ、そしてCフレーズはそれぞれ異なる調になっています。つまり転調しているわけです。
もし参考にする楽譜がC-durで書かれているものだとすると、この楽曲のAフレーズはC-dur、Bフレーズはa-moll、そしてCフレーズはfis-mollということになります。そのため、Aフレーズで避けられる音はfとh。Bフレーズで避けられる音はdとg。そしてCフレーズで避けられる音はhとeになります。これらはそれぞれの音階の4番目と7番目の音に該当するためです。
譜例3(4番目と7番目の音に赤丸を付けています)
もし手元にある楽譜がC-durで書かれていれば以上の音が用いられているかどうかを見れば良いのですが、もちろん楽譜によっては異なる調で書かれている場合があります。その場合はそれぞれを移調して考えてみてください。もしG-durで書かれている場合はC-durとG-durは5度離れていますので、フレーズごとの調も5度ずつ移調して考えれば良いです。
譜例4
もしA-durで書かれていましたらC-durとA-durは短3度離れていますので、次のように短3度移調して考えましょう。
譜例5
『パプリカ』に流れるもう1つのDNA=民謡音階
ここまでで『パプリカ』をヨナ抜き音階の観点から考えてみましたが、この楽曲についてはもう少し深掘りして考えることができるのではないかと思います。
アナリーゼを進める前に、ここで参考として童謡『蛍』を取り上げます。
譜例6
この楽曲はaの音が主音になっています。主音とは名前の通り主になる音のことですが、それは楽曲全体もしくは楽曲のある部分で中心になる音です。1曲を通して主音が変わらないこともあれば、転調する場合は1曲の中で主音が変わることもあります。
『蛍』では主音がaになるわけですが、その場合、譜例中で赤丸が付けられているgは第7音に該当することになります。先ほど取り上げたヨナ抜き音階には第7音は含まれていないため、『蛍』はヨナ抜き音階で作られているわけではなさそうです。それではこの楽曲はどのような音階で作られているのでしょうか?
ところで、和声法を学んだことのある方は導音という言葉を聞いたことがあるかもしれません。導音とは長音階や短音階において主音の短2度下にあたる音のことです。たとえばハ長調では主音にあたるcの短2度下の音はhになりますし、イ短調では主音にあたるaの短2度下の音はgisになります。
譜例7
導音には主音へ進むための力、機能があります。主音へ導く音という意味で導音と呼ばれるのです。
ちなみに余談ですが、ドイツ語で導音は「leitton」。「ton」が音という意味になりますが、その前に付けられている「leit」は「~を~へ導く、案内する」という動詞の「leiten」から派生していると考えられます。
長音階にはもともと導音が含まれていますが、短音階の第7音はそのままの形では導音になりません。導音である条件は主音との音程差が短2度であることなのです。
譜例8
譜例8のように第7音が導音になっていない短音階を自然的短音階と言い、第7音が半音上げられて導音になっている短音階を和声的短音階、もしくは旋律的短音階と言います。
譜例9
この「自然的」という言葉から連想されるように、自然的短音階が本来の短音階の姿であり、和声的短音階と旋律的短音階は人工的な音階になります。
ある音楽理論家によると、人々は和声法を発明することによって、元々の音階にあった自然さを失いました。そして自然さを失う代わりに、音楽の世界を遥かに広げることに成功したのです。それはつまり、和声法の理論は音楽をより豊かなものにしましたが、和声法が生み出される前のもとの音楽にあった自然な響きを失うことになってしまったのです。
そして、この和声法とはそもそもヨーロッパの人々が生み出したものです。これを別の角度から述べますと、和声法や「和音」という概念は近代ヨーロッパ的なものであり、それ以外の文化圏にはもともとなかったということになります。なので、導音という概念も日本の音楽にはそもそも見出すことができないのです。
ここまで少し遠回りになりましたが『蛍』に話を戻してみます。仮にこの楽曲の第7音を和声法的にすると次のようにgisになります。
譜例10
しかし、そうすることによって一気にこの楽曲の魅力が消えてしまうような感じがしますね。gの音こそが『蛍』の魅力の一部なのです。
そして、このように導音化されていない第7音は日本の古い音楽によく見られます。この導音化されていない第7音が特徴的な音階として「民謡音階」が挙げられます。民謡音階はヨナ抜き音階と同じく五音音階の仲間で、昔のわらべうたなどで用いられています。ヨナ抜き音階では4番目と7番目の音が抜けていましたが、民謡音階では2番目と6番目の音が省かれます。さらに民謡音階はdやaなどを主音にする場合が多いため、短音階のように少し暗い雰囲気を持った音階でもあります。
譜例11
導音化されていない第7音はまさに民謡音階の特徴の一つであると言えます。この特徴が『蛍』に見られるので、この曲は民謡音階でできていると考えることができます。
『パプリカ』のメロディに立ち戻りますと、このメロディにも導音化されていない音が見られます。たとえば、次の歌詞の下線部でそのような音が見られます。
“なつがくる かげがたつ”
『パプリカ』(作詞:米津玄師)より ※下線引用者
“みつけたのは いちばんぼし”
“はれたそらに”
“こころあそばせあなたにとどけ”
『Lemon』でも導音化されていない第7音を散見しますので探してみましょう。
ここまで見ましたように、『パプリカ』の懐かしさの秘密はヨナ抜き音階が用いられていることと、導音化されていない第7音があるためだと考えられます。
つまり、この楽曲にはヨナ抜き音階と民謡音階の特徴が見られるのです。このように多様な日本の原風景が詰め込まれているわけで、だからこそ『パプリカ』からは懐かしさやノスタルジーを感じるのでしょう。
まとめ
今回は米津玄師の『パプリカ』を取り上げ、この楽曲から感じる「懐かしさ」の理由を探ってみました。『パプリカ』から感じる懐かしさは多くの解説で述べられているように、この楽曲がヨナ抜き音階でできていることが理由の一つでした。もう一つの理由として、導音化されていない第7音、つまり民謡音階が『パプリカ』に用いられているということもわかりましたね。
今回は楽曲を音階の観点からアナリーゼしました。『パプリカ』のアナリーゼで見つけた音階はヨナ抜き音階と民謡音階の2つのみですが、その他にも音階には様々な種類があります。有名なものを列挙しますと次のようになります。
譜例12
律音階にも都節音階にも、そして琉球音階にもそれぞれの特徴があります。そしてこの特徴によって楽曲全体の雰囲気も変わり、その音楽を聴く人が感じる印象も変わってくるのです。メロディをアナリーゼする際にはぜひ音階に注目してみましょう。楽曲から感じた印象の秘密はそこから解明することができるかもしれません。