【音大で学ぶ作曲】第8回では、試演会に向けての練習や演奏者との会話の中で、どのような作曲方法を学ぶことができるのか紹介しました。
改訂する作曲家たち
試演会が終わっても、作曲科の学生の1年はまだ終わりません。もう少しやることが残っています。その1つが改訂です。
改訂とは、一度完成した作品を部分的に修正したり、その作品の構造を変更したりすることです。
作品の実演を通して気づくことはたくさんあります。気づいたところを修正するなどの改訂は、過去の作曲家たちにとっても重要なことでした。
その1つの例が、ドイツを代表するブラームスの創作姿勢です。ブラームスはひとまず完成した作品を数多く演奏し、その度に改訂した上で、出版譜を世に出すという手順を常に取っていました。
交響曲第1番の作曲に24年もの年数をかけたブラームスは、ここにきても常に慎重です。特にこの交響曲第1番の2楽章は、初稿版と出版版とではその構造が大きく異なることで有名です。
ブラームスだけではなく、他の作曲家の例もあります。その中でも有名なのはブルックナーでしょう。このブルックナー、先ほどのブラームスとは犬猿の仲だったそうですが、その慎重さという点では性格が一致しています。
ブルックナーは、自身の交響曲に対して批判がある度に改訂を行いました。そのため、彼の1つの交響曲には色々なバージョンのあることが大きな特徴です。
そのようなわけで、初演時の楽譜と出版時の楽譜は違っていることがよくあります。そしてこの違いにこそ、実演の跡が見られるのです。その実演の跡からは、作曲者のこだわった作曲方法を垣間見ることができます。
作品の将来をつかむチャレンジとは?
さて、改訂をしてひとまず完成となりましたら、作曲科の学生の1年はおしまいです。とは言っても、中には完成した作品をコンクールに提出したりする学生もいることでしょう。
作曲コンクールでは、募集作品の編成や曲の長さが定められていることが多いのですが、国外の国際コンクールも視野に入れれば、自分が書いた作品に一致する募集条件をかけているコンクールが、1つや2つはあるものです。
私の学生時代の恩師は、「1つ作品を書いたらなんでもコンクールに出してみなさい」と言っていましたが、そういったチャレンジの中で、将来のチャンスをつかんでいくものです。
チャンスをつかむためには、必ずしもコンクールのみが有効なのではありません。さらに演奏を重ねて、多くの人にその作品の存在を知ってもらうことも大切です。
ところで、昔の作曲家たちは自分の交響曲を多くの人に知ってもらうために、ピアノ用に編曲した楽譜も出版しました。つまり、自身の交響曲の楽譜を1台、もしくは2台のピアノのために編曲をし、その楽譜も出版したのです。
現代では、演奏をする際に録音をして、その録音を聞かせることによって多くの人に自分の作品を知らせることができますが、昔は今日のような録音技術はありませんでした。
しかも多くの人たちにとって、交響曲のような大きな編成の作品の演奏を聴く機会が少ないだけでなく、交響曲の楽譜は解読するには難しいものです。
そこで、特に19世紀の作曲家たちはピアノのために編曲をして、その楽譜を出版することによって自身の交響曲の宣伝をしたのです。
19世紀は一般にもピアノが出回り始めた時代ですので、人々はそのピアノ版の楽譜を自分で弾いてみることによって、その作品がどのようなものなのか知ることができたのです。
まとめ
1年間作曲を学んで、その集大成となる試演会を終えた後に、学生たちは作品の改訂をしたり、コンクールに出したり、実演を重ねたりします。
よく言われますように、作品とはその作者にとっては子どものような存在です。その子どもが生み出されて、改訂という「成長」の機会を経た後に、作品は巣立っていきます。
作曲を学んだ人の多くが共感を覚えることかと思いますが、自作品が演奏される時、作曲者は不思議な感覚に襲われます。
それまで自分の内側にあった「音」が、演奏されることによって外側に出てきているという状況の中で、自分の中にすっぽりと穴が空いたような、だけれどもしっかりとした充実感のあるような感覚です。そういった不思議な感覚にとらわれながら、自作品は巣立っていくのです。
最後に少し抽象的な話になりましたが、この1年間の繰り返しによって、4年間の学生生活は終わります。
それでは、その学生生活の中で学んだ作曲方法は、卒業後にどのように生かすことができるのでしょうか。次回はそのようなことを考えてみたいと思います。