【和声法&対位法】和声法と対位法の小さな山を登って

※連載【はじめての和声法】【はじめての対位法】のおわりに、和声法と対位法の相互理解に役立つ内容をご紹介します。

目次

21年かかった交響曲の完成

あまりに有名な話ですが、ドイツ・ロマン派を代表するヨハネス・ブラームスは初めての交響曲の完成までに21年もの歳月をかけたといいます。モーツァルトは8歳の時に『交響曲第1番』を書いて以来、番号が付けられている交響曲だけでも41曲書きましたし、ハイドンにいたっては100曲以上も書いています。また、ブラームスとはそれほど仲が良くなかったといわれるブルックナーですら30年あまりの間に10曲の交響曲を書いています。そう考えてみますと、ブラームスが21年かけて『交響曲第1番』を仕上げたというのはあまりにも時間をかけすぎている気がします。

さらに、彼は『交響曲第1番』の完成後に、半年もかからないうちに2番目の交響曲を書き上げています。そう考えるとなおさら、この『交響曲第1番』の異常さが余計に浮き彫りになります。なぜこんなに年月をかけたのでしょうか?

これも有名な話ですが、それはベートーヴェンの偉大さが重荷になったとの説が有力です。シューマンに認められて以来、ブラームスはベートーヴェンを受け継ぐ作曲家になると周りから言われていたと聞いたことがあります。

そんなベートーヴェンの交響曲といえば、日本でも年の暮れに流れる「第9」が有名です。「第9」はヨーロッパでは「欧州の歌」とされていますし、その自筆譜は「ユネスコ記憶遺産」に登録されています。また、ベートーヴェンの「運命」は、1977年に宇宙に打ち上げられた無人のボイジャー探査機に掲載されている音楽の一つだそうです。これはこの探査機が宇宙人に出くわした際に、地球の文化の豊かさをアピールするために掲載しているレコードなのだとか。ちなみに、その他にはバッハモーツァルトの楽曲も掲載されています。

人類が宇宙に対して文化の豊かさをアピールするために採用された、地球を代表する音楽の中にベートーヴェンの交響曲が含まれているわけです。そんな交響曲の精神を引き継ぐ作曲家だと言われるとかなり身構えてしまうことも十分に理解できます。

今回はそんなブラームスを通して和声法と対位法について考えてみたいと思います。取り上げる作品は『交響曲第4番』の終楽章。1番目の交響曲の作曲に21年もの年月をかけたブラームスは、結局4曲の交響曲を仕上げることになります。つまり『交響曲第4番』の終楽章とは、ブラームス最後の交響曲の最後の楽章というわけです。

ブラームスの工夫

まず触れなければいけないことがあります。この終楽章は「シャコンヌ」という舞曲の様式でできています。シャコンヌに特徴的なことはゆるやかな3拍子であるということと、一つのメロディ(主題)が最初から最後まで繰り返し用いられるということです。このブラームスの楽曲も3拍子でできていて、次の主題が曲の冒頭から最後まで繰り返し用いられています。

譜例1

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シャコンヌは変奏曲の一種でもあり、主にバロック時代に用いられた舞曲の形式です。この『交響曲第4番』はブラームス本人も気に入っていた作品だそうですが、この作品が書かれたのは1885年。この頃にはすでに交響詩という新しいジャンルもできていますし、革新的な作品を作り出したワーグナーはその2年前に亡くなっています。そんな時代に、交響曲という古典的なジャンルで、さらに古い時代の舞曲の形式を使用するというのは、当時の人たちはとても古く感じたかもしれません。

形式自体は確かに古いものではありますが、音楽自体はとてもロマンティックな音楽です。和声法や対位法においてブラームスの個性や時代の特徴が表れていると言えます。たとえば、和声法的には冒頭から次のようなハーモニーになっています。

譜例2(主題の音には丸印を付けています。また、「和声記号」という和声の種類を示す記号も付けています)

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これは古典派的な和声法とは異なる、よりロマン派的なものです。また、81小節目からは和声は次のように変化しています。譜例2の和声記号と比較してみると、視覚的にもその違いが明確です。

譜例3(主題の音には丸印を付けています)

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この楽曲はemollからできている音楽ですが、このように和声を大きく変えることによって、より多様な雰囲気に仕上げているわけです。

また、譜例1で挙げた主題に対して、次のような対旋律が付きます。

譜例4(主題の音には丸印を付けています)

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一つの主題がメインに用いられている楽曲ですが、このように対旋律が付くことによって、音楽をより立体的なもの仕上げていますね。これらの和声法的、対位法的な工夫によって、ブラームスの『交響曲第4番』の終楽章は単調になることのないように気を配られているわけです。

和声法と対位法、そして「形式」

ところで、別の回でも紹介しているものですが、いくつかのエピソードを挙げてみましょう。対位法にはあるメロディに対してそれに合うような新しいメロディを付けるというような課題があります。ロシアの作曲家チャイコフスキーは学生時代に出された対位法の一つの課題に対して、12通りのメロディを作成したという有名なエピソードがあります。それに類した話は他にもあり、シェーンベルクは亡命先のアメリカで、現代音楽の作曲家ジョン・ケージに和声法や対位法を教える際に、その一つの課題に対して数通りの解答を書かせ、その複数の解答の中からより良いと思えるものを選ばせたそうです。

このようなエピソードからは、一つのメロディにはいくつもの和声や対旋律を付けることができるということに気がつきます。解答を与えられるような和声法や対位法の課題でも、その解答が唯一の解答ではないわけで、可能性はまさしく無限大なのです。そしてその無限大にある可能性の中から取捨選択をして、一つの形式を与えることによって音楽は出来上がります。

和声法と対位法について取り上げる全3回のシリーズの第1回目に、和声法はハーモニーを、対位法はメロディとリズムを理論化したものと説明しました。

しかしメロディとハーモニー、リズムが音楽の3つの要素とは言っても、音楽はこの要素のみでできているわけではないのです。音楽はもう少し複雑です。そして他に必要なもの、それは「形式」です。

形式とは例えて言うのであれば、箱のようなものです。箱にもいろいろな箱がありますし、箱を入れるための箱もあったりします。そして私たちが学んだ、もしくはこれから学ぼうとしている和声法や対位法はその箱の中に入れられるものです。

もう少し身近なものでたとえてみましょう。たとえば目の前に、1つの車のおもちゃがあるとします。その車は様々な部品でできていますね。たとえば、車体やタイヤ、窓など。だけど、その車体やタイヤ、窓などは、必ずしも、その車のおもちゃになる必然性はなかったはずです。たとえば、そのタイヤの部品は、別の救急車のタイヤとして使われることも可能性としてはあったでしょうし、窓にいたっては家の窓になっていたことすらありえます。

つまり、この車体やタイヤ、窓が1つの「車のおもちゃ」としてまとまり、形を与えられているということは必然ではなくて偶然、もしくは意図的に決定された結果なのです。そして、ここでいう「車のおもちゃ」という形が、音楽でいうところの「形式」です。

さらに、その部品の1つである車体も様々な素材から成り立ちます。たとえば、プラスティックのようなものかもしれないし、金属の類かもしれません。またその車体に色が付いていれば塗料も使われていますね。これらの素材はなにかしらの技術によって1つの車体へと変貌したのです。音楽に置き換えますと、この素材が音であり、この素材を車体へと変化させる技術が和声法や対位法です。

そもそも世の中には様々な物質があるように、音にも様々な音があります。楽器の音だけではなく、物がぶつかる音や風の吹く音も、音に違いありません。しかし、作曲をするにあたって一般的に私たちは、楽器の音や人の声に限定して音を用います。そしてその限定された音を組み合わせてハーモニーにしたり、メロディにしたり、リズムを作ったりするのが和声法や対位法なのです。そして、和声法や対位法で作り上げたもの(それはよく作曲家の中では「パッセージ」や「断片」と言ったりします)をまとめ上げるのが形式です。

要するに、和声法や対位法は作曲の入口にすぎないということです。なんだか気の遠くなりそうな話ですが、そうではないのです。作曲をはじめ、様々なアートや芸術は入口に入ってからもその奥が深く、それだからこそすごいわけで、人に感動を与えられるのではないかと思います。

さて、冒頭に述べましたように、ブラームスはベートーヴェンから受け継いだ「交響曲」という形式に大きなプレッシャーを感じて、21年もの年月をかけて作曲しました。かつて私の作曲の師匠は、「ブラームスは後年になるにつれて、ベートーヴェンのプレッシャーから解放され、より個性的になる」と言っていました。確かに、ブラームスの1番目の交響曲は「ベートーヴェンの10番目の交響曲」と言われたそうですが、それはベートーヴェンの後を受け継ぐという意味と同時に、「ベートーヴェン」という大きな存在からまだ抜け出せていないという意味も持たせます。あくまで、「「ベートーヴェンの」10番目の交響曲」だからです。

しかしそんなブラームスも後年になるにつれて、ベートーヴェンから受け継いだ「交響曲」という形式を守りつつも、その中身(先ほど紹介した用語で言うと「パッセージ」)は個性的、ロマン的なものになっています。歳を取るにつれて、ブラームスは作品の中に自分自身の本音を書き記すことができるようになったのかもしれません。だからこそ、本人もこの作品のことを気に入っていたのでしょう。

まとめ

今回はブラームスの交響曲を通して、音楽における和声法と対位法の意味について考えてみました。意外と考えられる機会の少ないことですが、このように作曲にとって、和声法や対位法とはどのように使われるものなのかということを明確に押さえておくことは、技術の修得や学習の目標設定においても非常に重要なことです。

今回考えましたように、和声法や対位法は作曲の入口にすぎず、その先にはまだやるべきことがあり、それは「形式」という課題の大きな山でしたね。しかしそれでも、和声法や対位法はその作曲家の個性が強く現れるところですので、その2つの山を登り切ることだけでもすごいことです。

そして、和声法や対位法という山の山頂から見える音楽の風景は今までとは異なるはずです。この山から見ても作曲の山は高くて、なかなかすぐには山頂に到達できそうにありません。だけど、その山頂から見える風景はどのようなものなのでしょうか? それを考えてみると楽しくなりそうです。

皆さんもぜひ、和声法や対位法という表現の手段を手に入れて、ぜひ応用してみてください。その手段を手に入れて活用することで、その表現の世界は大きく変わり、聴こえてくる音楽の世界も変化することでしょう。

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